妊娠中絶4(パーシャル・バース・アボーション)

妊娠中絶4

パーシャル・バース・アボーション
Partial Birth Abortion

部分出産中絶
別名: Dilation and Extraction (D&X),
Late Term Abortion

日本では行なわれなかったし、行なわれていない。アメリカでは、かなり遅い妊娠期間の子供(18〜26週とも20〜24週とも言われる)に対し、過去何十年間かにわたって(正確なところは私は把握していない)行なわれていた。しかし、2003年にやっと禁止された。(しかし、記憶にとどめておこう。人間はこういうことができるのだ。)


ヨハネ・パウロ2世教皇も1998年に言及された:

「過去四半世紀、生命を守るために多くの人たちが努力してきました。プロ・ライフ運動はその最たるものの一つです。しかし、これほど多くの人たちの献身的努力にもかかわらず、人工妊娠中絶が権利であるという主張がなされ続けます。それだけではありません。中絶手術の際実際にどういうことがなされるかについて、想像できかねるような無感覚の兆しが見受けられます。その一例がいわゆる『部分分娩』中絶にまつわる最近の出来事です。」
- 教話 「死の文化と戦おう」 より
http://hvri.gouketu.com/cultureofd.htm












「悪魔的」 である。

頭だけを残した状態で行なうのは何故なのだろう。胎児を 「人」 にしないためであろうか。胎児が母親の体から出切らないうちはあくまで 「胎児」 であって 「人」 ではない、「人」 には人権が伴い、人を殺すと殺人になるけれども、相手が 「胎児」 である間は別の問題(母親のためのヘルス・ケアか何か)であると?そのへんのアメリカの法律はどうなっているのだろう。

日本の法律に関しては次のような記述がある。
「もし、母体と関係なく胎児だけを殺害したとすれば、むしろそれは殺人罪に等しい。そこで、刑法においては、胎児が母体から一部露出した場合にこれを殺害した場合、堕胎罪ではなく殺人罪であるとされている。刑法的な取り扱いにおいては、人の始期について全部露出説ではなく一部露出説が採用されていることからの帰結である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8E%E5%85%90
しかし、「母体から少なくとも一部露出しなければ人として始まっていない」 というのなら、これもおかしな話だ。

参考(日本語)
・パーシャル・バース・アボーション:より詳しい考察 (Japan-lifeissues)
http://japan-lifeissues.net/writers/edi/edi_08partialbirthabr-ja.html
・中絶に関する考え方が変わった看護婦 (Japan-lifeissues)
http://japan-lifeissues.net/writers/sha/sha_01nursechanges-ja.html
・ニュースレター 1998-05-01 No. 0091 (PDF) (Japan-lifeissues)
http://www.japan-lifeissues.net/newsletters/0091.pdf
深堀司教様 「まずわたしたちは、胎児は受精の瞬間から絶対的な尊厳をそなえた一人の人間であることを、いつでもどこでも繰り返し主張しましょう。これは福音宣教の重要な、根本的なメッセージです。人工妊娠中絶は『いのちの取り方』が問題なのではなく、『いのちを取ること』が問題なのです。」


医者がパーシャル・バース・アボーションを説明する。

医者が生徒達に教えている。私は、こういう事は必要なのではないか、決して 「本来的に必要」 なのではないけれど、「ここまで来てしまった人間社会」 のためには必要なのではないか、と思う。確かに大人社会の恥さらしだし、"良識的" な人は「こんなショッキングなものを生徒達に見せるのはいかがなものか」 と決まって言うだろうけれど、世界と日本には 「胎児の側に立った議論」 があまりにも少ないのだ。生徒達に避妊について教えるなら(教えるのがいいとは思わないが*、しかし話の筋として)、その前に妊娠中絶手術の≪実態≫について、日本では 「吸引法」 と 「掻爬法」 のそれについて、そして特に 「胎児の側」 からのそれについて、教えるべきではないか。

* などと言うと、プロ・チョイスの人はビックリ。

プロ・チョイスの人達は言うのであろうか? 「胎児の側から? ピンと来ませんね。だって、彼らは小さいし、『痛い』とも『死にたくない』とも言わないのですから。それは不確実です。確かでありません。それよりもずっと確かなことがあります。女性達の人権です。女性が自分の人生を自分で選ぶ選択権です。また、女性達が抑圧されていたり顧みられていなかったりすることです。社会に無理解や偏見や教育の不足などの数々の不備があることです。これらの確実な事に取り組むのが "先決" であるべきです。『胎児の側』などということは今のところ "想像の範囲" であって、今後の科学の知見に待つべきことです」 と?